中興名物
所蔵:藤田美術館
高さ:8.0~8.7cm
口径:14.4cm
高台外径:5.8~5.9cm
同高さ:0.8cm
伯庵茶碗とは、幕府の医官曽谷伯庵(寛永七年六十二歳没)所持にちなんで小堀遠州が命銘したのが起こりで、本歌はのちに淀藩主稲葉家に伝来し、現在は名古屋関戸家に所蔵ざれています。記録分をも合わせると類品は十数点にも上り、そのうち本歌及び冬木・奥田・土岐・朽木の各碗は中興名物となっています。
この伯庵茶碗について、本歌には「瀬戸茶碗」の貼り紙があり、冬木には遠州書き付けで「瀬戸 伯庵 茶碗」、奥田には「瀬戸伯庵手」とあり、『目利草』や『名器録』には黄瀬戸としゐされ、遠州以来瀬戸茶碗とされています。
伯庵茶碗の約束として、古来七契ないし十誓・十二品があげられ、きらず土・枇杷色・なむひ薬・片薄高台・竹の節高台・職盾り・轆轤(ろくろ)目・小貫入・飛び釉・茶だまりなどの見どころがいわれていますが、ことにざんぐりした土昧・黄瀬戸ふうの釉調・端反りの姿・胴央の横樋と、これに施されたなまこ釉・竹の節高台・高台内の飛び釉は、伯庵手にとっては不可欠の約束とされています。ただ同じ手のものとして、素地・釉調・作ふうが共通するのは当然ながら、胴の横樋やこれをとめた鉄絵の具(いわゆるなまこ釉)、あるいは高台内の飛び釉などには、たぶんに作為のあとが感じられ、たまたま本歌に存した景を約束として彷い、再現したものかとみられます。その意味で、多くの類碗は一種の形物茶碗とか称すべきものかと思われます。
素地・釉調からみて、瀬戸系と見るのが妥当ですが、これに対して竹の節高台の作風は違和感があります。端反りといい、竹の節といい、いわば朝鮮わたりの唐津系の作風で、この点、成形手法の上で外来要素の加味されていることが感じられます。伯庵在世の時代は、すでにこのような特殊なケースも想定され得る時代でもあり、その異様な特色からみて、本歌の年代は、おそらく伯庵時代、慶長ごろの作とみてよいでしょう。
この土岐伯庵は、瀬戸ふうのいわゆるきらず土にあざやかな黄瀬戸釉かかり、口縁端反りで一や所にくぼみがあります。胴央を回って横に山樋あり、これを鉄絵の具でとめだのが黄瀬戸釉で一帯になだれ、またなまこがみごとに顕われて、伯庵茶碗最大の見どころたる約束の、いわゆるなまこ釉となっていますが、なまこが胴を繞っているのは伯庵手の中で本碗のみで、他に類を見ません。裾以下土見で、高台は唐津ふうの片薄で竹の節になり、縁から底内にかけて、これまた約束の飛び釉があり、中央には兜巾が唐津ふうに立っています。このように削りに唐津ふうの手法のあとがみられるのは注目すべきで、唐津の陶技を修業した瀬戸陶工か、ないしは瀬戸に呼ばれた唐津陶工によって成形されたとみてよいでしょう。
姿はゆったりとして、伯庵手約束のいわゆる十誓もことごとくそろい、ことに見どころの尤たるなまこに至っては、他に比べて特にみごとで、伯庵茶碗中の秀逸と称すべきです。谷松屋の家祖、戸田宗三(元文三年七十九歳没)が伊勢で見いだし、沼田藩主土岐丹後守に納めたもので、所持者にちなんで土岐伯庵と呼ばれ、『古今名物類聚』にも土岐美濃守所持としてあげられ、その他『茶器名物図彙』『名物茶碗集』『谷松屋手控え』など諸種の茶書にも記載されています。明治維新に際し、土岐家から大阪の谷村伊右衛門の手に移り、のちさらに藤田家に伝わり、藤田美術館の創設とともに同館の所蔵品となりました。
(満岡忠成)
土岐伯庵
中興名物
伝来 沼田藩土岐美濃守―藤田家
所載 古今名物類聚 宗三手控 藤田家道具帳 大正名器鑑
寸法
高さ:8.11―8.7cm 高台径:5.7cm 口径:14.5cm 同高さ:0.9cm 重さ:464g
所蔵者 大阪藤田美術館
図版を見ればわかるように、茶碗の胴の中ほどに、亀裂が横に走っています。そしてその亀裂から鉄釉がふき出して流れています。これが、伯庵茶碗の約束の一つになっています。
これは、前の伯庵茶碗の項でも説明したように、この茶碗の原型となったもの、北朝鮮の会寧や、さらに北にさかのぼって、満州あたりに見られるもので、この地方の素地土は、その成分の関係上、亀裂が生じやすい性質をもっています。
そこで亀裂に鉄をぬりこんで、その亀裂から水のもるのを防いだものであるらしいです。だから、焼成されると胴の中央に見えるような鉄の景色が出てきます。これを 茶にふさわしい景色として真似たのでしょう。それが伯庵茶碗の形式となってしまったと見られます。
瀬戸の素地土はそう亀裂は自然にできませんので、わざわざ横筋をきり込んで、これに鉄をぬりこんで焼成し、作為的に景色を生み出そうとしています。この茶碗もそうで、釉に藁灰の混入によって出た海鼠釉をよろこんだのでしょう。
土岐伯庵という名は、その伝来による名称です。
瀬戸 伯庵 茶碗 銘土岐 090
高さ8.7cm 口径14.4cm 高台径51.9cm
藤田美術館
「土岐伯庵」と呼ばれるのは、かつて土岐氏が所持していたことによるのでしょう。この茶碗は海鼠釉の発色やや薄く、茶味をおぴているのが特色であります。
土岐伯庵 ときはくあん
伯庵茶碗。
中興名物。茶碗の胴に亀裂が走り、その亀裂から鉄釉が噴き出している。
これが伯庵茶碗の約束である。
伯庵茶碗の原形は、北朝鮮の会寧や満州(中国東北部)あたりにみられるが、この地方の素地土は亀裂が生じやすい性質で、亀裂に鉄を塗り込んで水漏れを防いだものらしい。
焼成されると鉄釉の景色が出てくる。
これが伯庵茶碗の形式の一つとなった。
瀬戸の素地土は亀裂ができないので、この茶碗のように横筋を切り、作為的に景色を生み出そうとした。
土岐伯庵はその伝来による名称。
【伝来】沼田藩土岐美濃守-谷村三育-藤田平太郎
【寸法】高さ8.7 口径14.5 高台径5.7 同高さ0.9 重さ464
【所蔵】藤田美術館
中興名物。伯庵茶碗。
戸田弥七の先祖宗三が伊勢国(三重県)で求め土岐丹後守に納めました。
海鼠釉が多く、上々の出来であります。
明治維新の時沼田土岐家を出て、谷村伊右衛門を経て大阪藤田家に入りました。
現在藤田美術館蔵。
(『古今名物類聚』『大正名器鑑』)
土岐伯庵 ときはくあん
中興名物。伯庵茶碗。戸田弥七の先祖宗三が伊勢国(三重県)で求め土岐丹後守に納めた。海鼠釉が多く、上々の出来である。明治維新の時沼田土岐家を出て、谷村伊右衛門を経て大阪藤田家に入った。現在藤田美術館蔵。(『古今名物類聚』『大正名器鑑』)