笠野原焼 かさんばいやき

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鶴田 純久の章 お話

鹿児島県鹿屋市笠野原の古窯。
1704年(宝永元)薩摩藩は苗代川の朝鮮人陶工の子孫が漸次増殖しましたので、戸数三四、男女一六〇余名を当時未開の原野であったこの地に移住させました。
寛政(1789-1801)の頃になって農事のかたわらささやかな窯を設けて伝来の製陶を始める者があり、主として黒物の水甕・飯洞甕・皿・鉢・茶碗などの日用品を出しました。
廃窯時期は明らかではないが明治以前であります。
なお1866年(慶応二、あるいは1868)戸数八〇、男女三五〇人を隣村大姶良村の萩塚(鹿屋市萩塚町)に移しました。
この地も荒野であって耕作は意のごとくならず、そのため苗代川から陶工を招いて製陶しようとした、原土や釉薬を得るのに適しておらず程なく廃しました。
(『薩摩焼総鑑』)

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