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鶴田 純久の章 お話

「字義」窯の字は太古の中国に発し、象るところは、穴の中に羊を入れて下から火を加えてあぶることにあるといわれ、これが加熱炉の源をなしました。
わが国において一般にこの字を用いるようになったのは明治中期のことで、以後窯業・陶窯などとこれが普遍化されました。
このほかに宿・塞・竃・釜などの字も用います。
朝鮮では釜の字を用います。
【窯の種類】窯の種類はその使用目的、作業上の機能、熱源による区別などによりその構造上に幾多の種類があります。
使用目的による区別からみると、素焼窯・本焼窯・締焼窯・釉焼窯・上絵付窯などがあります。
またこれをさらに焼成作業による区別からみると、不連続窯(単独窯)、半連続窯・連続窯などとなっています。
このうち最も普通なのは不連続窯で、いわゆる単独窯と称されている角窯・円窯・シャットルキルンートラックキルンーベルキルン・箱型電気窯・桶型電気窯であり、このほかにも最近電気窯でハ。
トトップキルンといわれるものもあります。
半連続窯には登窯・鉄砲窯などがあります。
また連続窯には輪窯・台連式トンネル窯などがあり、最近ではホーバルキルンーローラー八ウスキルンーコンペア式トンネル窯などが出現しました。
さらにこれを形状による区別からみると、角窯・円窯・楕円窯・トンネル窯に分けられ、また熱源による区別からみると、薪焚窯・石炭窯・ガス窯・重油窯・電気窯の五つに区分され、さらにこれを焔の通過状態によって区分すると、昇焔式・倒焔式・横焔式の三つに分けられます。
普通陶磁器焼成の場合は多く倒焔式で、これが最も窯内温度の分布が平均化され、しかも燃料の面からも有効ですので、多くの場合この構造のものが採用されています。
またかつて衛生陶器などを焼成しました。
フル窯もこの倒焔式窯であり、上絵付に使われるいわゆる錦窯もマッフル窯であるがこれは直焔式窯であり、両者ともに火焔が直接焼成品に侵入しないように構造されたものもあり、幅射熱による電気窯などもあります。
「わが国における窯」古墳時代に須恵器を焼いた客窯は朝鮮から渡来したもので、わが国で窯の形式をとったものとしては最も古いものである(「須恵器」の項参照)。
平安時代から鎌倉時代にかけて灰釉陶器・山茶碗・甕・壺などを焼きましたが、窯にはあまり変化はありませんでした。
その後室町時代になり瀬戸では古瀬戸釉・天目釉・黄釉陶器を焼いた単室半地上式登窯(瀬戸大窯)となり、これが美濃に伝わり志野・黄瀬戸を生んです。
それが桃山時代の後期になって唐津から傾斜のゆるい横サマ連房式登窯が美濃国久尻村(岐阜県土岐市泉町久戻)に伝えられ織部の各種を焼く窯となりました。
この連房式登窯はその後この地方では古い窯の特徴である傾斜の強い竪サマの様式に変わりました。
これを小窯といい(古窯ともいう)瀬戸の大窯と対比されます。
この小窯はその後分派して、時代と地方によってそれぞれ各種の構造を生んです。
京都・信楽に伝わると横サマ式のゆるい傾斜(約十分の三)となり、形状は馬蹄形となり、焼成室が小窯や丸窯に比べて小さな京窯として残りました。
その初期のものが相馬焼に伝わり、さらに薩摩焼に伝えられ、また相馬焼から笠間焼・益子焼にも広がっています。
この窯は耐火度の高い粘土に恵まれない地方のために考案し築かれたもので、焼成室が特に小さく、天井までの高さはわずかにIメートル足らずで、傾斜度は十分の五位であります。
唐津地方でも連房式登窯が築かれるまでは古い形式のトンネル窯・割竹窯が岸嶽で行われていました。
また有田地方にも磁器が盛んになってくる以前にはトンネル窯式のものが多数築かれていました。
しかし磁器盛んになってくると連房式唐津窯が次第に多くなり、これが次第に発展して丸窯となりました。
この窯は焼成室が構造上ドーム型をしているのでこの名があります。
ゆるい傾斜(十分の三程度)・横サマ・天秤積式の丸窯は、有田磁器の各地への伝播にともなって各地に広まり、清水焼・瀬戸・美濃・九谷に及んです。
瀬戸では磁器焼成において、焼成室の非常に大きい匝鉢積・棚積を利用する丸窯となりました。
小窯は竪サマ式で傾斜が強く一般に焼成室が小さく室数の少ないその特徴を失わないまま残り、その一部が陶器焼成のために改良されて、傾斜がゆるく焼成室が大きく室数の侈い本業窯となりました。
1877年(明治一〇)頃からヨーロッパの製陶法を採り入れることが多くなり、その焼成窯の構造も石炭を燃料とする平地窯となり、これが大正時代になってわが国独自の倒焔式石炭窯として完成され各地に広がりました。
さらに1955年(昭和三〇)頃から燃料に重油を用いることが多くなり、台車式トンネル窯はもちろん定置式単独窯もほとんど重油を燃料とするようになりました。
さらに最近では液化ガス・電気を熱源とするほか炉材の進歩がこれに加えられて、小型台車式シヤットルキルンートラックキルンーコンペア式ローラー八ウスキルンなどへと燃料経済、温度分布の平均化、作業性の向上を指向し、今日に至っています。
「中国における窯」北部には早くから西域系の単室窯が伝えられ、俗に饅頭窯とも呼ばれています。
南部方面にはトンネル窯が発達し、また普通の連房式登窯も行われています。
景徳鎮の窯は一種特別の単室平地窯で、ドイツの古い形式のカッセル窯と似ています。
北部は燃料に石炭を用いて酸化焼成を行うことが多く、したがって陶器類となり、南部は薪を燃料として還元焼成が行われ、磁器を焼くことが多いようです。
中国先史時代の窯については「彩陶」「黒陶」の項を参照。
「朝鮮における窯」瓦釜・兌釜・沙器釜の三様式ありますが、ほとんど瓦窯・陶器窯・磁器窯に等しいといわれます。
瓦釜は小窯で、禿釜はトンネル窯であります。
沙器釜はトンネル窯の進歩した割竹式のもので、あるいは丸窯式の登窯を用いています。
北鮮地方の磁器窯は割竹式であり、南鮮地方のそれは丸窯式であります。
南鮮地方の丸窯式がわが国に伝えられ唐津式連房式登窯となり、わが国各陶産地の登窯の各種に分かれていきました。
(『日本工業史』『陶磁文明の本質』『陶磁工芸の研究』『匋雅集』『支那陶磁源流図考』『朝鮮陶磁名考』『北村弥一郎窯業全集』)

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