紀三井寺 きみいでら

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鶴田 純久の章 お話

雲堂の模様のある染付ですぐれたものを紀三井寺といいます。
『茶怨目利書』に「紀三井寺は順礼の歌の心より染付の一番といふ心なり、雲堂の模様あるを以て紀三井寺ともいふ」とあります。
ただし紀三井寺は西国三十三番のうち二番の札所であります。
『茶道笙蹄』には「利休紀三井寺の香炉を茶碗に用ゆるより始まる」とあります。
その茶碗は中国産と推定され、雲堂模様の中に人物があるようで、地肌・藍色・模様の三拍子が揃った逸品と称美され、万治(1658-61)以前から大阪鴻池家にあります。
それ以前には利休を経て徳川家康に入り、一時津田小平次のもとにあったが再び徳川幕府の什物となり、元和・寛永(1615-44)の頃しばしば幕府の茶会に使用されました。
ただしその銘については異説があります。
例えば『茶器名物図彙』には模様の人物が観音に似ているので小堀遠州が紀三井寺と名付けたとあるなど。(『茶事秘録』『茶事見聞集』『大正名器鑑』『陶器集解』)

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