石川県金沢市・小松市・加賀市および能美郡・江沼郡の三市二郡にわたって産出します。
主として磁器に釉上着画したものです。
起原は寛永年中(1624-44)でありますが、元禄(1688-1704)当時は大聖寺焼といい、九谷焼としての名は享和年間(1801-4)塚五明の著『菱憩紀聞』に載せられたのが初めてであります。
元来真に九谷の地(江沼郡山中町九谷町)で焼成されたのは古九谷の三、四十年間と吉田屋窯の二、三年間だけで、九谷焼の名を広く用い始めたのは1824年(文政七)開窯の告田屋窯であるといわれます。
しかしその製品に「九谷」と書いてあるのはまれで、もちろん同時代の若杉窯・民山窯・春日山焼・小野窯などにもこの名を冠した例はないようです。
しかし1866年(慶応二)永楽和全が山代村(加賀市)の吉田屋窯に来て「於九谷永楽造」の銘を使い始めると、山代・大聖寺(加賀市大聖寺町)・金沢および能美郡の陶工が急にこれに倣い、1877年(明治一〇)頃からは各地から単に「九谷」と銘したものがたくさん産出し、ついに大樋焼と硬質陶器を除いた以外の加賀一円のやきものの称呼となりました。
【沿革】1639年(寛永一六)前田利治が江沼郡大聖寺に分藩し、後藤才次郎定次・田村権左右衛門Gに郡内吸坂村(加賀市吸坂町)および九谷村(山中町九谷町)に陶窯を築き茶器類をつくらせた。
利治には磁器創製の意があって定次の子忠清を肥前(佐賀・長崎県)に遣わしました。
秘法は固く、やっと長崎で中国明から亡命の陶工を数名得て帰藩し、旧地九谷の地で製出しました。
これを古九谷というと伝えられます。
しかし幕府の猪疑などの事情で元禄初年廃絶。
その後約百十年余りを経た文化(1804-18)初年に至って尾張瀬戸の磁器創製に刺激され、金沢町会所の決議で京都から青木木米を春日山に招聘して開窯。
滞在一年で木米は京都に帰ったが、彼と一緒に来た本多貞吉が1811年(文化八)能美郡若杉(小松市若杉町)の地に窯を開き、さらに1824年の吉田屋窯開創となり、次いで能美郡の蓮代寺窯(小松市蓮代寺町)、江沼郡の松山窯(加賀市松山町)などの青い中古九谷が出現しました。
文政(1818-30)末年金沢の武田民山が始めた赤および金を用いた細い文様の風は能美郡小野(小松市小野町)・同郡佐野(寺井町佐野)・石川郡美川にまで広まり、ついに山代の飯田屋八郎右衛門に至り、いわゆる八郎手となりました。
慶応年間(1865-8)山代窯に永楽和全が来て、その後寺井(能美郡寺井町)の九谷庄三・金沢の内海吉造・小松の松本佐平らが明治の九谷焼を大成させました。
しかし文政以後は大量生産を奨励したので品種はほとんど日用品となって質は低下し、維新前後の衰頑はひどかりました。
その後円中孫平が出て海外輸出に努めたので1887年(明治二〇)頃は空前の大生産を出現させたが、これに伴ってまた粗製濫造の弊害が現われた。
その後改良も施され今日なお盛大に行なわれています。
「九谷焼の本領」一言でいえば絵付を離れない点てあります。
古九谷の磁器、春日山(金沢市山ノ上町)の陶器、若杉の磁器、吉田屋の磁器、八幡(小松市加賀八幡)・小野・佐野の半磁器、粟生屋の妬器、山代・松山の磁器など地質は種々変わっていますが、依然として絵付の技工を本領としています。
しかもその時代の思潮に応じて変化し、またよく素地自体の性質に適合した技巧を施してきた。
まず古九谷の時代は画風は狩野風で、地肌・描線・彩色ともに男性的で重厚であります。
藍古九谷もまた独特の落ち着きがあって藍だけで品格を備えています。
文化・文政の若杉窯・吉田屋窯の製品は時代のせいか構図は通俗的となり描線もまた弱い。
ただ柔らかみの表現を長所としています。
天保(1830-44)頃の民山窯・小野窯・飯田屋窯などに至っては、当時の文人墨客の風に影響されて赤絵は最もよくその気分を出しています。
また『方氏墨譜』などに倣った中国文様が多く、卵黄色を帯びた光沢のない地肌の上に付けた赤色と金彩は非常によく照応しています。
明治維新前後には彩色金欄手(庄三風)が起こり、在来の色釉に中国の脱脂紅、西洋風の焼返し顔料などを盛沢山に詰め込んでいますが、多色中に調和があります。
おそらくは当時の世相を現わしたものであるでしょう。
明治以降になるとその推移・変遷は世の移りと共にきわまりないようです。
【陶工の往来】他地方から来た者-若杉窯の本多貞吉(肥前大村領)、民山窯武田秀平(姫路)、山代窯永楽和全・同西村宗三郎(京都)・同貞吉の養子清兵衛(信楽)、若杉窯勇次郎(有田)・同平助(平戸)・同寅吉(京都)。
他地方へ技を伝えた者-庄三(能登梨谷窯、越中丸山窯)、松屋菊三郎(摂津三田窯)、曾我竹山・周山富士造(飛騨渋草焼)、村井勘介ら(近江湖東焼)、また京焼の名家となった者に初代清風与平(金沢の人)、初代小川文斎(若杉の人)、米屋美山(金沢の人)などがいます。
(『九谷陶窯沿革誌』『加賀越中陶磁考草』『金沢工業沿革史』『工業大辞典』『日本近世窯業史』『平安名陶伝』『九谷陶磁史』)