高さ11.9㎝ 口径54.3㎝ 高台径23.7㎝
寛文年間、1660年代頃から、明時代末期に中国で焼造されていた芙蓉手染付の倣作が、有田で盛んに行なわれるようになる。
それは、オランダの東印度会社の注文によって、輸出用として量産されたものであった。
したがって、古伊万里芙蓉手は、わが国に伝世したものは少なく、その優品の多くはヨーロッパのコレクションにあり、それらが近年逆輸入されつつある。
この大皿もその一つで、今日わが国にある古伊万里芙蓉手染付大皿のなかでは、作行きの最も優れたもので、器形も最大ではなかろうか。
芙蓉手特有の腰に段をつけ、口部を直線的に開いた大皿で、見込に太湖石を中心に四羽の鳥、芙蓉のような牡丹文と菊、草花、蝶などを描き、回りは八方割にして格狭間枠内に牡丹文、草花文、八宝文などをあらわしているが、この種の八方割文に芙蓉手の著しい特色がうかがわれる。
裏面には三方に牡丹折枝文、低い高台には櫛目文、高台内には俗に「誉」印と呼ばれる円形の銘があらわされている。
やや青みをおびているが、芙蓉手としては目色も明るく鮮やかな発色である。
輸人の呉須顔料が用いられているらしい。
1670年から80年代にかけての作りあろうか。