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角倉素庵 すみのくらあん

江戸初期の事業家。1571年(元亀二)生まれ。名は玄之、通称与一。了以の長男であります。三度も死地を脱して蘇生の思いをしたので三蘇庵とした。のち三の字を省いて蘇庵と改め、また蘇の字を素に改めた。父の代から海外貿易・土木業に従事し、産を積んだ。儒学を藤原惺窩に学び、書は本阿弥光悦につき、また詩歌・茶の湯にも長じ、和漢の書を刊行してこれを人に頒布した。世嵯峨本または角倉本と称しています。書を光悦に学んでその流の随一と称せられ、のち自ら一流をなして与一流あるいは角倉流と称え、光悦および松花堂昭乗と共に洛下三筆と称せられ、当時との流を受け学ぶ者は非常に多かったといいます。また茶道を織田有楽斎・古田織部らに学び、当時屈指の数寄者と称されました。1932年(寛永九)六月二十二日没、79歳。

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