福井市の陶工。1907年(明治四〇)三月二十一日、福井市の米穀商の家に生まれた。幼少の頃から絵や泥塑を好み、福井中学を卒業後飛島組に入り、長野県のダム工事現場に配属されたが、しばらくでやめて福井新聞社に入社した。またホーリネス教会の伝導に従った。のちたまたま小野賢一郎著『陶器を試みる人へ』を読んで陶工を志し、1930年(昭和五)愛知県東春日井郡品野町(瀬戸市品野町)の加藤雲山を訪ね、加藤唐九郎と相知るようになった。のち郷里福井市に帰郊外木田一本木町に築窯、独力で陶芸を追究した。しかし彼はあり余る程の天分をもちながら、ついに大成しないまま1945年(同二〇)七月十八日、38歳の若年で病死した。