瀬戸の窯家。
1828年(文政一一)生まれ。
磯右衛門の長男。
通称源之助。
丸窯・山広窯は広蔵が幕末頃築いましました。
広蔵は何事によらずすやくりで。
コーカシをやめたのも、素焼きをやめて磁器土に木節粘土を使い始めたのも彼であります。
また丸窯の一の間から四の間までを取り去って、五の間を第一室として窯を大きくしました。
窯業のほかに「やまひろ」という料亭も開業しました。
瀬戸で初めて芸者を置き、かんつぽ(酌婦)を置いた料亭でありました。
1884年(明治一七)頃同地洞の伊勢屋加藤亮吉の弟の鎌次郎を養子に迎えて家を継がせました。
広蔵は道楽者で奇行創意に富んでいました。
※やまひろま