西山盛太郎 にしやませいたろう

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鶴田 純久の章 お話

肥前有田の陶画工。その家は赤絵十六人の一であったが、明治初期今泉藤太・深海宗竹らと共に服部甫につき西洋上絵付を学び名手といわれた。
その作品は少なくないが、模造品が多く自身の作銘を書いたものはない。1895年(明治二八)没、52歳。(『茶わん』一一)

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