沼田一雅 ぬまだいちが

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

1873年(明治六)福井県に生まれた。少年時代、路傍で粘土を捻って動物の形をつくっていたのを、通りかかった当時の東京美術学校(現東京芸術大学)校長正木直彦の眼にとめられ、連れられて上京し彫刻を習ったというエピソードの持ち主である。1896年(同二九)東京美術学校助教授となり、1903年(同三六)フランスに留学、三年間パリで絵画・彫刻・陶彫などを勉学し、またヨーロッパ各国を視察した。1907年(同四〇)東京美術学校教授となった。1925年(大正一四)再度フランスに渡り、セーブル製陶所で陶彫を研究した。陶彫の第一人者となったのもこの研鑽によるものである。のち平野耕輔所長時代の京都国立陶磁器試験場に招かれ嘱託とし肖像などの陶彫をつくり、また民間陶芸家に彫刻の技術を教えた。その工芸界への影響は大きいものがある。1931年(昭和六)フランス政府からシュバリーエ・ド・ドルドール・ナショナル・レジョンドングール勲章を贈られた。1946年(同二)から1950年(同二五)まで瀬戸市のオリエンタル陶彫研究所所長を勤めた。1943年(同二八)恩賜賞を下賜され、翌年四月の授賞祝賀会会場で突如卒倒し、遂に1945年(同二九)没した。62歳。東京芸術大学構内の二代校長正木直彦の銅像や、東京工業大学構内の初代校長手島精一の銅像は彼の代表作である。
(『京焼百年の歩み』)

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