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鶴田 純久の章 お話
伊賀伽藍石形香合
伊賀伽藍石形香合

陶磁の焼成中火焰の性質その他の原因によって偶然予定しない釉色ないしは釉相を呈したもの。しかしのちには技術の進歩により人工的にこの現象を得ることに成功しています。広義には色相のみならずなだれ・ひび・結晶などの現象をも窯変とすることもありますが、これはおおむね火変わりなどといわれ、器物の一部または全体の色相の変化を窯変といいます。これは胎土および釉薬に含まれた鉱物の性質と、いわゆる酸化焰・還元焰の焰の性質が相応じて非常に複雑微妙な変色を呈したものでしょう。これまでに窯変として知られているのは中国建窯系の鉄質黒釉と均窯系の銅質紅釉を主とします。建窯の天目茶碗は真黒色から黄褐色に至る濃淡種々の色相と多様な斑紋的窯変を現すので知られています。その変貌より兎毫あるいは鷓鴣斑・滴珠・兎毛花・黄兎斑・頴利・芒目などといわれ、わが国では禾目・曜変などといいます。曜変の現象は、焼成中を通じて含まれている還元性のガスまたは釉薬中の揮発分が、熔融した釉を通じて逃げる際冷放されますと、その部分に溜まった釉が気泡の大きさに丸く凝縮し同時に結晶状となります。だから滴珠のように密集することを本質としていますが、時として異状に変形したり飛び飛びに斑紋を現わすこともあります。このような曜変手に属するものは、普通の天目手のような鉄あるいは鉄と少量のマンガン化合物により色を呈するものとは異なり、この他に銅あるいはウォルフラムなどのよう焼成後に紫光の虹彩を放つものを混入した結果であるとも推定される(「曜変」の項参照)。次にわが国において蕎麦手と呼ぶものは、鉄珪酸塩の結晶が赤褐色あるいは緑色の極めて古雅な趣を呈するもので、その黒色を帯びたのを鱸魚緑、緑色を帯びたのを茶葉末児といい、前者は成化年間(1465~187)に逸品を出し、後者は雍正年間(1723~35)に秀抜なものを出しました。ま鉄系統の釉であるいわゆる紫瓷は、その結晶紋鉄繡花といわれ清朝時代の鑑賞家に愛好されました。次に均窯の銅呈色釉は窯変中の最も華々しいもので、銅呈色の常態である紫紅色のほかに、呈色により磔砂紅・火裏紅・豬肝紅・茄皮紫・葱翠青・火焰青・鸚哥緑など変化は多種多様です。
またわが国でいう辰砂手はこの宋均窯の系統で、明代に最も色相を徹させ、祭紅・宝石紅珠砂紅・積紅・蘋果緑・肺紅・乳鼠皮など多様の窯変を示しています。(中尾万三)

焼成の際に、窯のなかで予期せぬ火焔の変化や灰が降り、思わぬ釉色や釉相が現れることをいいます。

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