九谷焼の一種。
文久年間(1861-4)加賀国小松(石川県小松市)の松屋菊三郎は、古九谷の特色が長い間廃れ絵付がすべて赤や金となっているのを嘆き、苦心研究の結果古九谷風の彩料を使って白磁五彩の着画を完成、ここに初めて青九谷の名称が起こりました。
明治以後の輸入顔料を使ったいわゆる赤絵九谷に対し、古来の彩料を用いたものをこう呼ぶこととなりました。
なお古九谷中の青手古九谷や吉田屋窯の製品、さらに青チブおよび九谷の染付物をも青九谷と称することがあるが誤りであります。
『九谷陶磁史』※あおでこくたに※あおチブ
古九谷の一種。黒描きの上に緑・黄・紫の三色で彩色した三彩古九谷、および緑・黄の二色で彩色した二彩古九谷を青手古九谷といいます。
また色調が類似しているところから交趾古九谷、手法が似ているところからペルシア手古九谷などとも呼ばれます。(松本佐太郎)