重文。
元の即休契了が、日本僧愚中 周及の帰国に際して彼に書き与えた餞送の。
しかしその内容からみると、印可証明のというべきものであ「昏耄に代る」とは、もうろくした自分に代わって寺の諸般のことをはいじ処理してくれたとの意、「裴寺」は廃寺すなわち貧乏寺、「勧進す」とは、ここでは勧め励ますというほどの意、「左探右索」とは、禅の奥旨を縦横に探りこれをわがものとすること、「時流」は当時の禅僧の力量の水準の意、「機輪三転」とは、車輪の転ずるように心が円転滑脱に働くこと、「輪元と浄し」とは、その転ずる心は本来清浄な心であるの意、「定慧雙銓」とは、禅定と智慧、道力と道眼との二つが相ともない、よく均衡のとれてなんじまさあらいること、「慧、脩するに匪ず」とは、その智慧は生まれながらにそなえている智慧であるとの意、「霊を奮う」とは、龍が池を振動させて飛昇すること。
『延宝伝燈録』所収の愚中周及の伝記に、「至正十年、即休微疾を示す。師を召して曰く、来歳孟春、吾れ必ず滅を取らん。残喘未だ絶えざる時、你当に速やかに帰るべし」といい、この偈を贈ったとある。
すると本墨蹟は即休帰寂の前年、病中に揮毫されたものとなるが、さすがは千鍛百錬した巨匠の筆で、兀々とした筆致、枯淡な書風の底に、凛然たる禅機と稜々たる気迫とがみなぎっている。
即休契了は虎巌浄伏の法嗣で、潤州鎮江府の金山龍遊禅寺に住したが、詳細は不明。
【寸法】本紙縦28.5 横93.5
【所蔵】五島美術館