石溪心月 法語 しっけいしんがつ ほうご

石溪心月 法語
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鶴田 純久の章 お話

重文。
臨済宗松源派に属し、南宋末の禅界に活躍した石溪心月が、その会下に参じた日本僧無象 静照に書き与えた法語である。
石溪が無象に、名高い趙州の「放下着」の一則を示し、その真意を実地に自肯自得せよと諭したもの。
禅の修行は、自利の面についていえば、迷いを転じて悟りを開き、さらに悟後の修行を積んで悟りの臭みを拭い去り、徹底無一物、酒々落々の境涯に至ることを目標とするものである。
石溪の墨蹟は稀少で、この一幅は彼の書風をみるべき代表作である。
謹直端厳な筆致のうちに蒼古な風韻を漂わせた名品である。
なお「乙卯」は石溪の生存年代から推して南宋の宝祐三年(1255)、無象の入宋後四年目にあたる。
石溪心月は法を掩室善開に嗣ぎ、諸寺を歴任したのち五山第一の径山興聖万寿禅寺の第三十六世住持となった傑僧で、虚堂智愚・蘭溪道隆らと法の上で従兄弟の関係にある。
無象静照は文暦元年(1234)相模国に生まれ、幼少で出家し、19歳で入宋、山の石溪心月に参じてその法を嗣ぎ、さらに虚堂智愚の門をたたき、彼から有名な「破れ虚堂」の墨蹟をもらい、文永二年(1265)に帰朝、その後仏心寺 興禅寺などを創建し、聖福寺・浄智寺の住持となり、徳治元年(1306) 73歳で示寂した。
この幅には大徳寺龍光院の江月宗玩がその俗兄津田宗凡から依頼されて書いた証状が添う。
【付属物】証状―江月宗玩筆
【伝来】小出大隅守 小堀遠州
【寸法】全体 縦110.0 横62.4 本紙 縦31.5 横61.0

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