臨済宗松源派の傑僧疾藜正曇が、宗善上人という人物の求めに応じて書き与えた法語。
四段からなっており、第一段は「始めて少分の相応有り」までで、真の禅者の自受用三昧の境涯を説いている。
そして、禅の修行の目的は自利利他円満、自己人格の完成を一切衆生済度の両立ということであるのに、これではまだ自己一身の解脱、自利を得たにすぎないとし、利他・衆生済度の働きを説いたのが「豈快ならず哉」までの第二段。
しかし最近の禅界のありさまをみると概歎にたえないと、この禅界に活を入れるべき勇猛な修行者の出現を待望したのが第三段で、「臨済の法道大いに行わる」まで。
最後に、禅の修行において肝要なことは、まず大死一番してそこから驀然と息吹き返し堂々と立ち上がることだと、若き日の臨済の例をあげて宗善を激励し、一問を授けて結びとしたのが第四段である。
一読まさに臨済の再来を思わしめるものがあって、実に痛快な法語である。
疾蔡正曇は、松源崇岳の法嗣の一人で、この法語を書いた紹定五年(1232)、当時は十刹の一つ虎丘山雲巌寺に住していた。
『宗湛日記』の天正十四年(1586)十二月十七日の条によると、新屋了心がこれと異なる大幅の疾藜の墨蹟を所持していたことが知られるが、今日には伝わらず、彼の墨蹟としてのこるのは本幅のみである。
【伝来】佐久間将監真勝鴻池家
【寸法】全体―縦117.0 横87.5 本紙縦28.9 横75.5