寂室元光 付衣の偈 じゃくしつげんこう ふえのげ

寂室元光 付衣の偈
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鶴田 純久の章 お話

重文。
近江山上の永源寺の開山寂室元光が、遷化の前年の十二月、弟子の弥永釈に伝法のしるしとして法衣を付与したときに書き与えたであみだねんろうる。
二偈からなり、第一の偈は「謾りに」とか「誤って」の文字が示すように、禅家における伝法付衣をいわゆる拈弄風に頌じたもの。
第二の偈は、伝法とはいうが「我に一法の他に与うべきなく」、嗣法とはいうがまた「一法の他より得べきなし」が真理で、授受すべき何ものもないことを頌じゃかしようの。
「頭陀」とは迦葉、「鷲嶺」は霊鷲山の説法会、「盧郎」とはたいまんぐにんたいかん えのう「黄梅」は黄梅山に住した五祖大満弘忍、「四七二三」とは迦葉から菩提達磨に至るインド二十八祖と、達磨から大鑑慧能に至る中国の六祖、「曹溪」は六祖慧能。
名利に活淡で悠然と遊戯三昧を行じた寂室の人柄のよく滲み出たもので、いささかの衒いも作為もなく、淡々たるうちに清淑脱俗の趣がある。
寂室元光は美作高田の出で、無為昭元に従って剃髪し、法を約翁徳険に嗣ぎ、31歳のとき入元しまず天目山の中峰明本に参じて三年修行、さらに無見先観・断崖了義などの諸師に参じて滞留七年、帰朝後は備前・美作に身をくらませて聖胎長養すること二十五年、延文五年(1360)近江の守護大名佐々木氏頼に請ぜられて瑞石山永源寺の開山となった。
以来この地に幽居し、天龍寺住持に請ぜられたが固辞、貞治六年(1362)遺滅して78歳で遷化した。
【寸法】全体 縦121.0 横99.0 本紙―縦31.0 横97.0

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