重文。
大徳寺開山大燈国師宗峰妙超が、冬至小参において提唱した自らの法語を、会下の宗円禅人に書き与えたもの。
冬至は陰きわまって陽かすかにきざす陰陽交叉の日であり、それが明暗双々・偏正回互という宗旨によく適うというので、禅家においては冬至を四節の一つとして貴び、その前日に小参を行ない、当日には冬至の上堂を行なうのが古来の慣行。
前段で、冬至の陰陽交叉に因み明暗双々偏正回互の法理を説き、かつ真正の悟りを開いてその実境涯を得よと垂示し、後段では、さらに端的に冬至に触れて、虚堂智愚 南浦紹明―宗峰妙超と伝わってきた臨済正脈の禅の禅風を示し、会下の僧たちを激励したもの。
宗峰41歳のときに書かれたもので、彼の墨蹟としては早い時期に属し、それだけに後年の墨蹟にみる宋風の強勁さと辛辣さはなく、むしろ和風の温柔さと重厚さとが主調をなしている。
宗峰妙超は播磨国揖西郡の出で、11歳で書写山の戒信律師について得度したが、律宗や教宗に飽き足らず禅宗に転じ、高峰顕日らに参じたのち、南浦紹明に参じて京都万寿寺・鎌倉建長寺と従い、その法を嗣いだ。
はじめ花園上皇の帰依を受け、のち後醍醐天皇からも重んぜられ、彼の創建した大徳寺は建武新政に際し南禅寺と並ぶ五山の第一に格付けされた。
よく禅の真風を護持し、建武四年(1337)56歳で示寂。
【付属物】添状―三、一休宗純・沢庵宗彭・天室宗竺筆
【寸法】本紙―縦32.3 横78.0
【所蔵】根津美術館