石室善玖 寒山詩 せきしつぜんきゅう かんざんし

石室善玖 寒山詩
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鶴田 純久の章 お話

南北朝時代に活躍し、武蔵野火止の平林寺の開山第一世となった石室善玖が、「寒山詩」中の一篇を書いたものである。「人間と生まれて誰一人として死ぬ者はない。死という一事だけは、貴賤貧富にかかわらず万人平等である。たとい頑健な大男であっても、死ねばたちまち一かたまりの塵よみじとなってしまう。冥路に夜の明けることはないが、春ともなれば青草が芽をふき生い茂る。人生の無常を感じながら思い出深いところに行ってみると、ただ松風の音ばかり、改めて熱い胸のふさがる思いである」と、人生の無常を詠じたもの。
石室が何人かの死を悼み、かつ人生は無常なるがゆえにこそ、この生を愛惜し、いっさいの執着を離れて力いっぱい生きようとの思いを込めて、この一篇を書いたものであろう。
その書風は禅の場くりんせいむ合と同じく、師古林清茂のそれを嗣ぐものである。
しかし同門の中国僧了庵清欲や竺仙梵僊の謹直強勁なのに比べると、温雅流暢の趣に富んでおり、日中の書風の違いがはっきりとみられる。
石室善玖は筑前の人で、幼少で出家し、入元して古林清茂の会下に入りその法を嗣ぎ、滞留九年ののち嘉暦元年(1326)帰朝、万寿寺・天龍寺に住し、次いで関東に下っとういわつき円覚寺・建長寺を董し、武蔵岩築野火止に平林寺を開いて開山第一世となり、康暦元年(1379) 96歳で示寂した。
【付属物】証状―三、芳春院可什・高林庵宗晃・真珠庵宗玄筆
【寸法】全体 縦122.1 横84.2 本紙縦35.0 横82.8
【所蔵】根津美術館横

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