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古田織部 茶杓 共筒 銘宗半様

古田織部 茶杓 共筒 銘宗半様
古田織部 茶杓 共筒 銘宗半様

一双入ノ内 前田家伝来

略伝
美濃土岐家の臣、左介と称し名を重然という。信長の美濃攻略に従い、信長死後、秀吉に仕え、歴戦功あり、天正十三年(1585)従五位下織部正に叙任、山城国西岡に三万五千石を領した。
利休と茶の交渉はあったが、利休在世中は、茶人としては大した存在でなかった。利休死後は茶をもって秀吉に仕え、名人といわれた。
関ヶ原役に東軍についてより、秀忠は織部を茶道師範とし、しばし織部の茶会に列した。慶長十九年(1614)十月大阪冬の陣には東軍に属したが、翌元和元年(1615)夏の陣には大阪方に内通し、大阪落城の直後六月十一日に切腹した。年72歳。

茶杓
織部型といわれるほど個性が強く、利休・少庵・道安に共通した型をいっそう手強く、櫂先長く、節裏強く刳って腰の高い形で、しかも竹質は光沢のさび竹が約束である。この杓には中節の上に虫喰があって、別銘「虫喰」といっているが、織部は奇を好んだせいか「虫喰」の茶杓が他に数々ある。


書付は織部の豪快な字で「宗半様旨 古田織」とある。 織部茶杓の一級品で、金沢ではやかましい物となっている。

付属物
24遠州筒の織部茶杓との一双入りの箱

追記
この茶杓の宛名の宗半とは中川宗伴のことで、前田利家の女婿で武蔵守と称す。 利休直系の茶人で、宗伴肩衝の持主であった。

寸法
茶杓
長サ18.1cm
幅0.5―1.1cm
厚サ0.25cm

長サ20.9cm
径2.8cm

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