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寺澤丸壺

唐物 大名物 伯爵 酒井忠道氏藏

名稱
寺澤志摩守廣高が所持せしに由りて此名あり。寺澤廣高は大永五年尾張に生れ、織田信長に從ひ、後豊臣秀吉に仕へて、次第に立身し、肥前唐澤の城主となる、征韓の役に功あり更に筑前怡土郡の内二万石を加へらる、關原の役家康に從ひて濃尾の間に戰ひければ、其賞として更に肥後天草郡を加增せられ、所領十二万石に達せり、常に茶器を愛し、其唐津城主となるや、大に同地の窯業を興し、唐津焼の今日あるは、志摩守の力興つて多きに居るといふ、寬永十年四月十一日卒す、年七十一法名を休甫宗可といふ。

寸法
高 貳寸參分
胴徑 貳寸參分五厘
口徑 九分五厘
底徑 壹寸又壹寸參厘
甑高 六分
重量 貳拾匁

附屬物
一蓋 二枚 象牙 内一枚 窠
一御物袋 茶羽二重 緒つがり紫
一袋 五つ
白極純子 裏玉虫海氣 緒つがり紫
望月廣東 裏淺黄玉虫海氣 緒つがり茶
大燈切 裏萌黃紋海氣 緒つがり紫
穴穂屋純子 裏海氣 緒つがり紫
太子廣東 裏海氣 緒つがり紫
一袋箱 桐  白木
寺澤丸壺袋
一挽家 銕刀木 蓋甲に金粉
寺澤 小堀權十郎筆
袋 赤地金鷄頭模樣 裏白糯子 緒つがり茶
一內箱 桐 白木 書付小堀權十郎
寺澤丸壺
一外箱 黑塗 真鍮錠前付
一添盆 堆朱七葉盆 内朱 裏黑 底に楊茂造の彫文字あり
箱 桐 白木
七葉盆 楊茂製 墨書 筆者未詳
寺澤丸壺 張紙
一添書付 四通
寺澤丸つばは寺澤家に有之、其後海保半兵衛五千金出して求、所持致居る、亦六角三井へ參りし品の所、同所より讓り請る者也。
但しから物丸壺の内にて、第一の品、外に類はなき品也小堀宗中より當時上方に有之茶入にては、一は奈良の松本二は八幡の國司、三は三井の寺澤と、天保の末頃申越候事有之候。
一望月漢東袋は世間に有之品とは時代も古く譯違、此切の眞の一ッ可爲』見本尤天下に此手の切は先無之事に候間、取扱格別に心得て、大事に可致候。
一太子漢東袋珍敷手にて、世間に有之切とは手替故此手の切は甚稀に候間、取扱心得て大事に可致候。
但此手の太子漢東切は、先天下に無之、此袋一巳に有之故、大事に心得可取扱事。
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一望月漢東袋は、此袋一つにて二百金餘に望手有之候へざも、中々可遣譯には無之事。
一此太子漢東袋は、此袋一つにて百六十金餘に望手有之候へども、中々可遣譯には無之事。
右之通之次第之處、前條之通之儀に付、後々迄其心得にて厚大切に可取扱事
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望月御袋極上々の品方、稀に御座候、志摩守殿よりの御袋に可有と奉存候
太子是も上々と申とは手替に候へども、珍重切にて御座候、希に有之品に奉存候。
宗長(大阪戸田彌七氏の祖父なり)
一七葉盆 堆朱
右は前々より楊茂作と申事候へども、楊茂にて無之、併何れ十作の内之品に有之候て、能盆には有之事。

雜記
寺澤丸壺 寺澤志摩守所持道安門弟本阿彌三郎兵衛。 (古名物記)
寺澤丸壺 唐物小童 本阿彌三郎兵衛。朱書入三井勝之助 (蒂庵文庫本玩貨名物記)
寺澤丸壺 海保年兵衛所持元本阿彌所持。寬保酉三月十四日借覽(朱書入今京三井)。高さ二寸二分八厘胴二寸三分四厘口九分八厘底一寸、飯六分。袋白極あさぎ 裏玉虫海氣 緒むりさき。挽家たがやさん、寺澤と金粉にて書權十郎筆。袋堅縞びらうど 裏白しゆす 緒つがり茶。桐箱寺澤丸壺と書付有權十郎手跡。箱指渡三寸八分三リン。蓋二象牙、内一つ第。袋四つ、望月かんとう 裏もえぎ玉虫茶の丸、緒つがり茶、大燈切 裏萠黄紋海氣 緒つがり紫、穴穗屋どんす 裏かいき 緒つがり紫、かんとうの類赤白黑かすり裏海氣 緒つがり紫。上箱黑ぬり、眞鑰錠前有之。捻返しの所、少々カケあり、其外處々繕あり置形胴に帶あり(茶入の圖略す) (名物記)
寺澤丸壺 唐物 大名物 三井。(寸法、附屬物の記事、大抵名物記に同じ、茶入圖あり) (古今名物類聚)
寺澤丸壺 漢 大名物 町人三井三郎助。柿地黑藥なだれ、至てうるはしき出來、藥どまり白茶、本糸切至て細く、白土、飯の一所われあり。(附屬物の記事及茶入圖あり) (麟鳳亀龍)
寺澤丸壺 初本阿彌後海保半兵衛今三井(寸法、附屬物、茶入圖あり) (草間和樂著茶器名物圖彙)
寺澤丸壺 海保半兵衛所持元本阿彌所持。朱書入安永中大坂屋安兵衛持參三井へ取次、今三井宗坡所持。(寸法、附屬物、茶入圖あり) (暢園秘錄)
寺澤丸壺 漢なり。本能寺文琳と同時代なり、又之を油屋肩衝に比するに、藥立同時代と雖も時代劣りなほ日野肩衝と同位のものなり。 (松平不味著瀨戶陶器濫傷)
預り一札の事
寺澤丸壺 生駒肩衝 玉柏茶入 越後井户 染付茶碗 瀨戶茶盌
右六品の儀、今度金子千五百兩御用達申候二付預申置候處實正也金子の儀御約定の通、來ル申年迄五ヶ年限、年々五朱の息金を加へ、御返辨可有之候、其節右品も無相違相渡可申候、爲後日御引替證文如件。
天保十五甲辰年八月 若州 渡邊權太夫
谷松屋宗長殿
 (生駒肩衝の添書付)

傳來
元唐津の城主寺澤志摩守廣高所持なるが廣高子なく、次男兵庫頭堅高家を繼ぎ、天草の亂に其地を沒收せられ幾程もなく自害して其家絶えければ、此茶入は本阿彌三郎兵衛の手に渡り、後江戶兩替商海保半兵衛五千金を出して己が有と爲し安永年中大坂屋安兵衛取次にて、京都三井宗坡に讓られしが、其後大阪の道具商谷松屋宗長の手に入り、天保十九年八月同人より此丸壺と生駒肩衝玉柏茶入越後井戶染付茶碗瀨戶茶盌と合せて六點金千五百兩にて若州酒井家に預け入れたる儘、遂に同家に留まりたる者なり。

實見記
大正八年四月二十八日東京市牛込區矢來町酒井忠道伯邸に於て實見す。
唐物丸壺にして、口締り縁にヒッッキ一ヶ所あり、又口緣より飯半ばにかけて割れ疵一ヶ所漆繕ひあり、口綠裏側に米粒大の缺け疵二ヶ所あり、總體紫地に黑上釉光澤美事に、置形飯より肩にかけて、一ナダレ屈曲して盆附に至りて止まり、露先其他處々に蛇蝎釉を見る、胴を繞れる沈筋一線、置形と反對側に於て、茶入の周圖三分の一ぱかり途切れたり、釉止り低く盆附際僅に土を見せ、裾に接してヒッッキ二ヶ所あり、叉篦目樣の約八分許の横筋あり、底面薄鼠色の土にて細かき糸切中央に平面の場所及びヒッッキあり、釉色光澤麗しく景色の變化に富みたる茶入なり。

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