佐久間正勝 さくままさかつ

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鶴田 純久の章 お話

安土・桃山時代の武人。
織田信長の家臣佐久間信盛の子。
1556年(弘治二)生まれ。
初名信栄、通称甚九郎。
茶を千利休に学び、武人中の数寄者として知られました。
1580年(天正八)石山本願寺合戦の最中に茶事に耽溺した罪によって父信盛と共に高野山に追放されました。
信長の死後その次男信雄に仕えたが、1584年(同二一)剃髪して不干斎と号し、次いで秀吉の御伽衆となりました。
のち徳川二代将軍秀忠に仕えて御伽衆に加わり、駿河守に任ぜられ、武蔵国に三千石を知行されました。
1631年(寛永八)4月27日没、七十五歳。

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