城意庵 じょういあん

marusankakusikaku
Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

寛永(1624-44)の頃尾張国鳴海(名古屋市緑区鳴海町)の窯において織部好みの茶器を焼いたことが『別所吉兵衛一子相伝書』にあるようで、また黄なだれのある一種の鳴海手の茶入はこの人の作であるだろうかとしています。
城意庵とは和泉守景茂であるでしょう。
なお景茂は『寛政重修諸家譜』によると1587年(天正一五)駿府(静岡市)において没しましたので、寛永年間にはすでにいなかりました。
(『別所吉兵衛一子相伝書』)

前に戻る
Facebook
Twitter
Email