Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

茶入の一手。
口が広く茶入の内容が澗大であるのでこの名があります。
以前はこの種の茶入を内海といい、その小形のものを小内海と呼んでいましたが、小堀遠州に至って大を大海、小を内海と改称したといいます。
茶入としてはあまりに大形ですので、以前は水屋の引貯用とし、大海から茄子・文琳・丸壺などに抹茶を移したそうでありますが、利休時代に佗び茶が流行するに及んで大海を茶席に使用するようになったといいます。
古来茶書に高名な大海には次のようなものがあります。
唐物としては打曇・八島・山桜・八重桜・唐大海(土屋左門所持、小出家)・唐大海(小堀遠州所持、村山家)、古瀬戸では敷島・大烏・八重桜・置紋・節季・大口・金森、また存滅不明のものに朽木・光教寺・進藤・角倉・仙蔵院・友松・園・唐大海(阿部備中守より幕府に献上)・唐物大海(桜田御殿)などがあります。
なお万歳大海は織田信長が所持していた時、本能寺で焼失しました。
『君台観左右帳記』『山上宗二記』『寛永道具手鑑』『茶器弁玉集』『万宝全書』『茶入之次第』『嬉遊笑覧』『大正名器鑑』『茶道名物考』

前に戻る
Facebook
Twitter
Email