中興名物。金華山茶入、飛烏川手。
銘は原所持者の屋号であるだろうというが詳かでないようです。
あるいは柿金気釉中に黒釉の一なだれがあるのを、鷹羽の斑文に見立てて名付けたのかもしれないようです。
細川三斎の筆で「たかのはや」と挽家に張紙があるようで、当時からこの名のあったことが知られます。
肩がきっかりと衝き、柿金気色の光沢が麗しく、黒釉の景色のはなはだ少ないところが最もよく本歌に類しています。
無疵で品格が高く釉質の結構な茶入であります。
細川三斎所持、河村瑞軒、上田宗吾、大坂屋庄三郎、松平不昧、姫路藩士河合隼之助、姫路藩主酒井宗雅を経て、1871年(明治四)赤星弥之助の手に入り、1917年(大正六)益田家に移りました。
(『名物記』『古今名物類聚』『麟鳳亀龍』『松平不昧伝』『大正名器鑑』)