多治見焼 たじみやき

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鶴田 純久の章 お話

美濃国土岐郡多治見村(岐阜県多治見市)の産ではありますが、元来この地は土岐・恵那・可児三郡諸村の陶磁器を集散し、むしろ陶商の地として名をなしています。
それだけに東濃諸窯の製品を総称して多治見焼ともいいます。
この地の陶業は1641年(寛永一八)加藤景増(久尻陶祖景光の孫)の開窯に始まり、その子景姓は東窯を、景郷は西窯を開き、共にこの地の窯業に多大な功績を残しました。
その後文化年間(1804-18)に至って、大阪の商大西川屋茂平のもたらした肥前焼の見本によって初めて磁器を製造し始めたといわれています。
磁器以前の製品には一升徳利の産があるだけともいいます。
明治以降になって名工吾助・西浦円治・加藤勘三郎らが出て多治見焼のみならず美濃焼全体を急速に発展させました。
(『岐阜県産業史』『日本近世窯業史』『美濃焼の歴史』)※いちのくらがま※みのやき

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