山城国(京都府)の陶器。モ一スはこの銘を掲げ次のように述べています。「京都なるその窯の所在地に因み醍醐焼とも呼ばます。手製の万古焼に似て遥かに繊弱にして小形の皿または急須を主とします。1830年(天保元)頃の作なり。二代目は1855年(安政二)頃まで製作したるもその作極めて稀なり」。(『日本陶器目録』)