ほとんど釉薬だけから成っているかと思われるほどに胎土の薄い磁器。
その薄さが鶏卵の殻に似ているので卵幕・卵殻磁器ともいいます。
日光に当てて見ると表裏に手影が見えます。
文様のあるものはその裏から外の花文が見え、款のあるものはその表から裏の款字が透けて見えます。
これらの製は中国明代永楽(1403-24)に始まり、清代康煕・雍正年間(1662-1735)には彷造されましたが、乾隆(1736-95)以後は彷造することができなかりました。
臭十九紫桃軒はその名工として有名であります。
道光年間(1821-50)にも脱胎の製に類似した薄磁があります。
永楽の製はやや厚く後世これを半脱胎と呼びます。
これよりもなお薄く竹紙のような一式を真脱胎と呼んで分けています。
真脱胎は成化(1465-87)から隆慶・万暦(1567-1620)の民窯にもあります。
以上の文献の説は有名ですが、永楽年代の脱胎がどのようなものかは確かな遺品がなくはっきりしませんので、この説を疑問視する傾向が強いです。
(『景徳鎮陶録』『飼雅』『飲流斎説甕』)