粘土を材料として焼成した容器のうち多孔質で、釉薬の掛かっていないものを土器と呼び、多孔質で釉薬を掛けた陶器、および妬器・磁器と区別します。
焼成温度が摂氏一千度未満で、粘土中の鉱物組成にガラス化か生じていないものが多いようです。
ただしわが国の須恵器は一千度以上の高温で焼成しており、表面に釉が吹き出しているものもあるなど土器としては陶器に近く、陶質土器とも呼ばれています。
なお中国語・英語では土器と陶器とを区別せず、それぞれ共に陶器・potteryと呼んでいます。
チェコスロバキア旧石器時代後期の住居跡では、陶窯を思わせるような構造の炉から土製の女性像・動物像が見い出されており、またアフリカでは旧石器時代の土器があるといいます。
こうした先駆的な土製品・土器の存在を認めるにせよ、イラン・トルコなどの西南アジアが着実な土器の発展の主要な舞台を成したことは否定できないようです。
ただし土器づくりもこの地から東西に伝播したと説く一元説と、別個に各地に出現し得たとする多元説とが対立しています。
またアメリカ大陸の土器については自生説が強まっています。
なお放射性炭素年代によりますと、わが国縄文式土器は一万年前にさかのぽり、最古の土器の位置を占めることになります。
土器の発明過程についてはバスケットに粘土を上塗りしたものが炉中に落ちて土器になったとする説もあります。
最近では西南アジアの土器製作の出現を、工作過程の類似によってパンづくりの技術と比較・関連させる解釈もあります。
土器は耐火性を持つので火にかけて煮炊きに使えます。
また耐水性があるので液体を入れることができます。
さらに食物を貯蔵するのにも食物を盛り付けるのにも用いることができます。
こうして土器の主な用途としては煮炊き・貯蔵・盛り付けなどがあげられます。
このほか祭祀用の土器、埋葬用の棺など特殊な用途をもつものもあります。
世界各地の土器には他の材料の容器から姿を借りたとみられるものも多いようです。
瓢箪容器・バスケット・皮袋・石・木・金属製容器などの模倣品があります。
狩猟・漁労・採集を基盤とする社会に成立した土器は、多くの場合煮炊き用を主な用途とする尖底・丸底の深鉢形を呈しており、初期にはそれ一種で成り立っていることも多いようです。
しかしこれが時代と共に発展して次第に複雑化の途をたどることもあります。
わが国の縄文式土器もその一例であって、その発達程度は世界的にも珍しいです。
一方農耕社会に成立した土器には最初から素地・手法・形態・装飾に精粗の別があるようで、平底土器を主体とする複数あるいは多数の器種によって成り立っていることが多いようです。
なお採集社会・牧畜社会では土器をつくらないこともあります。
民俗例によりますと、轍輸使用に先立つ土器の製作者は女性、琥櫨使用の土器製作者は男性となっている事例が多数を占め、両技術が併存する場合でもこの原則が守られていることが多いようです。
わが国でも土師器を女性、須恵器を男性が製作したことが平安時代の文献で確かめられています。
考古学で土器を重視するのはその容器としての機能を考えるからだけではないようです。
土器は年代の尺度・地域圏の設定に重要な決め手となります。
まず土器は遺物として最も豊富かつどこにでもあります。
これが重要な要件であります。
さらに粘土を材料とするため、形や飾りが千差万別たりうることになります。
容器として壊れ易いことは考古学的にはかえって幸いします。
すなわち土器は壊れてもすぐ補うことができます。
つまり新陳代謝が激しいですので、どんどん交代し、これに従って形態や装飾が変化していきます。
また粘土は砂漠やサンゴ礁以外なら容易に近くで入手できるのが普通ですから、どこででもつくることができ、これが地方色を惹起する原因となります。
こうして土器の研究によって、考古学年代の時間的・空間的変遷を追究するための基礎ができるわけであります。
およそ十~数十年の期間に生活に試用した一組の器種のまとまりを、縄文式土器の研究では型式、弥生式土器の研究では様式と呼んでいます。
土器型式は最初に存在が認定された遺跡名を冠して、また土器様式はⅠ・Ⅱ・Ⅲ・……などと呼び分けています。
土器の器種の名称には皿・鉢・壺・甕・高杯などを用い、これに台付・把手付などの表現を加えています。
土器の部分名称は主として大体になぞらえて、口縁部・体部・胴部・腹部・底部などと呼び分け、またいったんすぼまる形態の土器では、その部分を頚部などと呼び分けています。