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鶴田 純久の章 お話

室町中期から桃山初期にかけてのやきもので、三重県伊賀市東高倉・三田の両地区から出土されています。
マッチ箱よりやや大きい程度で、厚さ5mm程度の素焼の札のようなものです。
一部に組紐が通る程の穴がI、二あけられ、片面には人・銭・米・馬などの文字と花押があるようで、半面に年号が刻まれています。
現在明らかになっているうち古いものは1424年(応永三一)、新しいものは1576年(天正四)。
そして1470年(文明二)と1472年(同四)のものだけに11月とあるようで、あとは10月のものばかりであります。
これによってみると百五十年間にわたってつくられておりながら、花押も誰のものか明らかでなく、用途の確認もつかめませんが、推察するに米・人・馬など年貢米・人馬の勤労奉仕・労役賃の受取証、あるいは代官所などへの出入の門鑑で、当時の守護職あたりが発行したものであるだろうと思われます。
焼きは白っぽいもの、赤味の濃いもの、白の半透明な小さな石を含んだものがあって伊賀焼系のものであることには異論はないようです。
謎のやきものではあるが製造年号が明記されていることは、その出来上がりの良非にかかわらずその時代の基準作となり、やきものの研究上貴重な資料の一つであります。
(『伊賀焼』)

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