筑前国早良郡釦原村(福岡市西新町)にあって、同村上の山(西新町)の窯を東山または東皿山と呼ぶのに対し、古来この窯を西山または西皿山と呼んできました。
この地ではもとは粗陶が製造されていましたが、五代藩主黒田宣政の1718年(享保三)上座郡(現在朝倉郡)小石原村中野の工人を移して窯を始めました。
東皿山は精巧品専門の藩窯で、この西皿山はもっぱら日用品の製作を目的としたと思われます。
開創当時の窯方頭取は柳瀬三右衛門で、以来藩庁は大いにその経営を助け、のち直接物産役所管理の下に製造販売を百数十年間握りました。
しかし明治維新でその管理がなくなり次第に廃業者を出し、1898年(明治三一)頃には三製造家を残すのみとなりました。
近年の調査によれば、西新町窯は高取焼の名において茶入・茶碗・水指・建水・蓋置・花瓶などを製造すると共に、同原料を用いて大小の半胴甕・握鉢・手洗鉢・摺鉢・醤油瓶・酒徳利などの雑器をつくり、民芸品愛好家に注目されています。
(『府県陶器沿革陶工伝統誌』『日本近世窯業史』『工芸』四三)※たかとりやき