大友宗麟 おおともそうりん

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鶴田 純久の章 お話

室町末期から安土・桃山時代の武人。
1530年(享禄三)生まれ。
豊後国府内(大分市)の城主大友義鑑の長男。
名は義鎮。
1550年(天文一九)家督を継ぎ、1562年(永禄五)三十三歳の時、剃髪して休庵宗麟と号しました。
安芸の毛利氏、肥前の竜造寺氏と連年交戦しましたが、薩摩の島津氏の出陣によって敵し難く、1586年(天正一四)大阪城に至って豊臣秀吉に援を求めました。
翌1587年5月27日没、五十八歳。
キリスト教を信奉し教名をフランシスコといい、領内に孤児院・慈善病院・教会堂・学校・修業所・修練所などを設けて宣教を支持しました。
茶は天王寺屋道叱に学び、玉澗の山市晴愕・時香の壺・松本瓢箪・珠光文琳・新田肩衝・百貫茄子・安井茶碗などの名物道具を所持しましたが、その大半は秀吉に進呈しています。

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