陶磁器原料の化学分析例

泉山陶石
鶴田 純久
鶴田 純久
No 原料名 SiO2 Al2O Fe2O3 CaO MgO K2O Na2O Ig.loss
11 天草石(熊本) 78.52 15.04 0.30 0.04 2.68 0.34 3.14
13 泉山陶石(佐賀) 80.39 13.92 0.39 0.03 0.04 2.72 0.56 2.40
20 対州長石(長崎) 78.45 12.80 0.54 0.32 0.28 0.51 5.83 1.45
32 安山岩(佐賀) 76.37 13.86 0.62 0.44 0.09 4.79 3.38 0.68

 上記の陶磁器原料の化学分析例で天草石及び泉山陶石と対州長石及び安山岩とでは似たような化学成分なのだが、原料の時の性質は全然違います。前者は熱水作用でSiO2とAl2O3とかがカオリナイト Al4Si4O10(OH)8という結晶体に変化されます。
このカオリナイトがあることで粘土としての粘りが出たり、水中に浮遊しやすくなったりします。
というのはどう言う事かというと、天草石及び泉山陶石は熱水作用でカオリンが含まれていますので土コネが出来て轆轤で器が作れます。
一方、対州長石及び安山岩は熱水作用が行われていないので土コネも出来ず、器の製形すら不可能です。
よって現代では、前者は素地を作る原料に、後者は上薬を作る原料にと使い分けられています。
また、このカオリナイトは温度450度以上に熱せられると結晶体は崩されそれぞれの成分SiO2とAl2O3とに変わるようです。上記の陶磁器原料の化学分析例は一度焼いた後に分析しますのでカオリナイトとは違った話になるわけです。

 これからは1600年以前、帰化朝鮮陶工が日本に何をもたらしたかをお話したいと思います。
それまでの日本は施釉方法はあったものの其の施釉の上薬は竈の土灰単体を水に溶かしたもの、もしくは土灰と鉄分が多い土とを混ぜて溶かしたものを掛けて焼いていたようです。土師器・須恵器・炻器・古瀬戸までの陶器類。
1200年代に陶工加藤四郎左工門景正という人が道元禪師について中国に渡り天目釉(黒い釉薬)などを学んで帰国し古瀬戸などを製造するようになりましたが、それでもまだ今日で言う所の透明釉は作れなかったようです。
朝鮮陶工は何を齎したかというと、唐臼と土を水簸する技術の二つが大きな要素だったと思います。
唐臼で陶土もしくは陶石などを細かく砕く、それを水簸にかけ土成分と上薬成分とに分け取り出す技術です。
先ほど説明したカオリナイトは水中に浮遊しやすいということで土成分を取りだし、やや早めに沈殿しやすい珪酸成分多い粒子は釉薬に使うために別に取り出します。
(上薬にカオリン質が多く入ると透明感が失われ都合が悪く、硅酸分とはガラス成分の元と言えます)
解りやすく言うと、やや大きい水瓶に臼で細かくした土の粉を水で溶かし攪拌し、大きなプールに流し出します。するとカオリナイトが多く含まれる粒子は遠くに流され沈殿し、カオリナイトが少なく硅酸分が多い粒子は早く沈殿し手前で蓄積します。それぞれを取り分けると土と釉石とに分けられます。釉石には粘りがないが土灰の粘りで釉薬として役立ちます。
 この技術によって始めは唐津焼が焼かれ、それは加藤四郎右工門景延によって美濃の方に伝わり志野焼が焼かれ織部焼・瀬戸焼として発展します。
唐津の方も白い磁器土(陶石)発見され、唐津の陶工は挙って磁器に転向し初期伊万里が焼かれ古伊万里に発展します。

 ではなぜこの肥前地区に朝鮮陶工が渡来し唐津焼が焼けたのかですが、九州は火山が多く火成岩と熱水作用によりカオリン質が生まれた鉱石の脈があちらこちらにあり、長年の自然の風化で流され蓄積した陶土は肥前地区には多く存在します。私の推測ですが泉山陶石場などの山が古来もっと大きな山で長年の風化作用と風雨で松浦川などに流され伊万里・唐津地区に蓄積したのが唐津焼の陶土と思います。自然風化ですので不純物(鉄分など)が含まれ色が付いていますが、成分としては泉山陶石に近いようです。
中国で発展した技術が朝鮮に伝わり日本にも齎したのではないでしょうか。この朝鮮陶工が齎した技術は日本における窯業の歴史を大きく変えたと言って過言ではないようです。

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