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鶴田 純久の章 お話

中国清朝雍正年間(1723-35)に年希尭が管理した景徳鎮の廠器をいいます。
年希尭は淮安板の税関監でありましたが、また景徳鎮廠窯の陶業を監督し材料を選んで精雅を極めた器を謹製しました。
琢器は多く卵色円類で、螢素銀のようで皆青彩あるいは描錐暗花を兼ねています。
玉のような優作は古器に倣いながら新味をも出しました。
青磁は大観官窯と班窯に倣って極めて上作を出し、また俗にいう灰鼠色の年窯青磁を出しました。
年希尭の伝記はまだわからないようです。
ある書に年窯は年葵尭の監督じたものであるといいます。
年葵尭は康煕(1662-1722)の進士で、官を重ね川浹総督撫遠大将軍でありました。
川辺を平定し西蔵を征し青海を平らげた功によって一等公に封ぜられ、康煕帝の寵臣でまた学者・詩人・画家でもありましたが、雍正の時処刑されました。
希尭はあるいは億尭の近親ですか。
(『景徳鎮陶録』『飲流斎説甕』『中国人名簿』『支那陶磁の時代的研究』)

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