博山窯 はくざんよう

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

中国山東省博山では陶器とガラスを焼成しています。
中国ではこれを福川窯といい、わが国では博山窯といい、かつて青島との関係上わが国にも縁の深い窯でありました。
石炭や諸原料に富み、北中国では普通の饅頭窯によって日用陶器を焼いました。
すでに清代康煕(1662-1722)の頃から盛んでありましたが、その製品は磁州窯などに類し、広くあらゆる雑器をつくりましたが、古い製品としては福川窯・博山宋窯・博山天目などと通称されるものがあるようで、また山東尚古堂・南石堂などの青磁があって、これらは遅くとも康煕年代の作だろうといわれています。
今日磁州窯といわれているものの中には博山窯も多少混入しているでしょう。
陶業は多く博山城外で行われましたが、ガラス業は城内にあって、偽宝石をつくったり、また北京その他の仮玉器の原料も出しました。
これらは康煕・乾隆(1662-1795)時代に盛んであったようであります。
博山の陶場は城外の山頭庄・福山庄・北嶺庄・八渉庄・窯光庄などに分かれ、製品は碗窯では茶碗・皿・食器類、瓶窯では酒・酢などの液体容器、砕貨窯では盃のような小形のもの、雑貨窯では雑多な粗陶器類、甕子窯では甕類を焼いました。
成形は琥轜と土型で、素地には化粧したものとしないものがありますが、いずれも生素地に鉄絵具で絵高麗風に描いたり型紙の絵付をし、藍絵付は特に釉上に施しました。
その焼成は素焼を行なわず饅頭窯の本焼のみであります。
前記の製品のほかに黒定風・天目手・瑠璃・蕎麦手などもあって、蕎麦手は特に珍重されています。
(『匋雅集』『青島軍政』『支那陶磁の時代的研究』)

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