浜田義徳 はまだよしのり

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鶴田 純久の章 お話

熊本県八代町(八代市)の人。
1904年(明治三七)有田工業学校第一回卒業生として草場見節の陶場に人り、唐津焼の復興に尽力しました。
のち中国北京の芸徒学堂の教師に招聘され、1909年(同四二)には推薦されて朝鮮の汗頭浦の三和高麗焼(富田儀作が起業)の経営担当者として赴任し、そこで象嵌・青磁・絵高麗など高麗時代の作に劣らないものをつくり、しばしば受賞して業績を高めました。
1920年(大正九)11月没、三十九歳。
次弟美勝が技術員となって経営を続けました。
(寺内信一)

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