もと近江国(滋賀県)の人で京都三条の錦光山の工人でありましたが、のちに尾張国品野(愛知県瀬戸市品野町)に来て同村の基窯八世丹右衛門重徳(1753、宝暦三年4月没)の一女しげを妻とし、この地に初めて京焼を伝えました。(『新編瀬戸窯系統譜考』)