平戸御茶碗窯 ひらどおちゃわんがま

marusankakusikaku
Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

長崎県平戸市山中町紙漉の古窯址。
1596年(慶長元)正月平戸藩主松浦鎮信が朝鮮より帰陣した際、従って来た朝鮮人は平戸に上陸し高麗町(戸石川町)に居住しましたが、陶技を身に付けていた巨関らは命を受けてここに陶窯を開いました。
しかし1615年(元和元)に再び内命を受け領内各地に磁石を踏査し、それが発見されるやこの窯は廃止されました。
当初は熊川形の茶碗を多く焼き、その釉薬は白色に少し黄色を含んだ透明釉が用いられました。
無地の白色磁器茶碗もあります。
また磁器質の茶入に鉄の錆釉を施したもの、彫刻の根付などもあるようで、平戸焼彫刻のもとをなしました。
諸書に中野焼とあります。
(金原京一)

前に戻る
Facebook
Twitter
Email