肥前国佐々窯(長崎県北松浦郡佐々町佐々市ノ瀬)の陶家。
製磁の法を修得しようとして西下した加藤民吉は、この人のもとで職工となり、原料配合などの秘訣をすべて自得しました。
そのため民吉が帰郷しようとして仁左衛門に許しを請うた時、彼は良工を失うことを惜しみ許可を与えず永住を勧めました。
そこで民吉は一策を案じて東向寺の天中和尚から強いて一度天草に帰るようにと連絡させ、1807年(文化四)正月ようやく辞去しました。
また仁左衛門は民吉の辞去を阻止するためにその娘を民吉に嫁がせ、その後一子をもうけ、民吉が脱走したのち藩から厳罰に処せられたとも伝えられています。
(『瀬戸陶業史』『日本近世窯業史』)