蛎鹿とも書きます。
福禄の文字を胴に浮き彫りにした青磁の花瓶の類で、釉はやや厚く掛かり、色は天竜寺手風のもの、砧手に近いものなどがあります。
『青甕説』には「蛎鹿、墨屋了斎筆記にいふ、最上の品なり二字あるものあり一字つつあるもあるようで、案ずるに了斎筆記青甕の部、砧の上にこの品を列す、然れども何器なるや詳に釉色形状を説かず、蓋し蝸鹿の文字ある本手の花生なるべし、又案ずるに了斎は寛政享和文化年間の人にして目利の骨董家なりその頃までは上代本手の称号なきにや、あらはその称を挙ぐべきに挙げざるを見れば弥弥近来の称呼なること明けし、幅鹿も了斎などより称へはじめし名号ならん」とみえます。