上杉瓢箪 うえすぎひょうたん

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鶴田 純久の章 お話

大名物。
漢作瓢箪茶入。
一名を大友瓢箪。
上杉景勝が愛蔵していたのでこの名かあります。
またこの別名は大友宗麟が所持していたのによります。
天下六瓢箪の随一と称され名物茶入中最小のものです。
薄手の精巧な作りで形はやや口瓢箪に類しています。
柿金気釉の中に共色の釉の抜け紋があり、その上に黒味勝ちの飴色釉が鶉斑をなし、置形は口縁から肩にかけて黒飴釉が濃くなだれて景色をつくっています。
この飴色柿釉の変化の妙と火間のかもしだす美しい景色は、松平不昧の油屋肩衝と並び称されます。
もと足利義政が所持、珠光・紹鴎を経て大内義隆に伝わりその義子義長が所持しました。
義長は大友宗麟の弟であります。
1557年(弘治三)毛利元就が大内氏を攻めた時、宗麟に使いを遣わして弟義長を助けるべきかどうかと申し送ってきたのに対し、宗麟は弟は殺してもよいがただその所持している瓢箪茶入は欲しいと答えました。
元就は義長を殺しこの茶入を宗麟に送りました。
宗麟の子義統は九州征伐の豊臣秀吉に媚びてこれを献上し、のちに上杉景勝が拝領しました。
それ以後定勝の時まで五十年間上杉家にありましたが、定勝の死後綱勝が家を継ぐに当たりこれを幕府に献上しました。
その後一時加賀の前田家に移ったが再び幕府に還り、さらに紀伊大納言頼宣が隠居の際にこれを拝領して以来紀州家に伝来し、1927年(昭和二)同家入札の際は三万五千九百六十円でありました。
(『大正名器鑑』)

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