1877年(明治一〇)姫路で士族授産のために設けられ、当時兵庫県にいた肥前大川内の陶工柴田鴨脚を招いて、士族五十名を募り陶法を伝習させ男山に窯を築いて従業させましたが、四、五年で廃絶しました。(『日本陶甕史』)