絵高麗 えごうらい

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鶴田 純久の章 お話

やや粗槌の白化粧の陶胎に鉄描の黒画のあるものです。
中国の磁州窯をはじめ各地方で出ます。
絵高麗の名がいつ始まったかまだわかりませんが、茶人が命名したことは明らかであります。
文禄・慶長の役(1592-8)以後茶事に朝鮮ものが著しく流行し、朝鮮から渡来した黒絵のあるものを高麗と称したらしいです。
一部は朝鮮産であったらしいが多くは中国北方窯所産の日用雑器でありました。
茶道で珍重されるものに梅鉢の茶碗・魚の手の茶碗があり、前者は梅鉢の文様があるものをいい、後者は茶碗の内面に魚または笹の略画のあるものであります。
今日呼ばれる絵高麗とは、磁州で焼かれた白化粧の陶胎に黒い絵付をしたものの種類に対して主として名付けられたものと思われます。
新古いろいろあります。
白化粧の陶胎に黒い絵付をすることは現在では磁州だけが有名でありますが、磁州のものだけとは限らず、中国の北方窯では古くからこのようなものをつくっています。
定州の窯、さらに古くは邪州の窯・汝州の窯・鄭州の窯、みなそうであります。
山東省の博山は近年でも焼き、旧満州本渓湖の窯でも数十年前まで焼いていたといわれ、撫順・煙台などの炭坑のある所では、以前この種類のものを焼いていたことが窯跡から出た品物によって証明されます。
北中国では石炭の出る所には必ず陶窯があってこの種のものを焼いています。
黒い絵付には文字・絵・文様があり、それぞれ製作の意匠に従い時代の新旧がありますが、時代を確然と分け難いものもあります。
品種もまた多く、壺・碗・鉢・皿・徳利・食・人形・陶枕など種々あります。
雅俗入り混ざっていますが、古代のものは典雅で近代のものは粗俗であります。
ただ人によって観賞の点が異なります。
甕質堅密なものもあるが一般的には土質がまさり、焼成後釉のない部分は吸湿性で粗い感じを与えます。
成形は初めに素焼をすることなく、白土で化粧掛けを施し、鉄分の多い赤土で文様を描き、釉を掛け、乾かしたのち兜形の丸窯に入れ石炭で焼きますが、古くは薪材を用いたらしいです。
焼成後において、かすかに鉄分を含む釉は酸化焼成のために象牙色を帯びて熔け、赤土で描かれた絵は黒または黒褐色を呈し、熔けた透明の釉は化粧掛け層によって滋潤の感じを出し、甕質・釉・絵ともにいわゆる絵高麗の愛すべき古雅の趣を出しています。
釉があまりによく熔け過ぎたものは光沢が強過ぎ、絵の黒色も褐色となってかえっておもしろみの減ることがあり、物によっては釉が生熔け気味の方が絵が黒く釉が光らないでかえって趣があるようであります。
人の好みにもよるが焼成の程度は、生で黒絵が枯燥すれば器物の品位を欠き、また焼け過ぎて黒絵が課朧となれば観賞の眼を害します。
以上は近年の磁州窯の品を標準とに’て説明しましたが、いわゆる絵高麗はその他各窯の所産をも含む称呼で、ただ単に中国北方窯だけでなく、朝鮮産三島手風に黒い絵付のあるものもまた絵高麗といいます。
今日茶人が珍重する絵高麗梅鉢の茶碗と同手のものは朝鮮慶尚北道から出土しました。
要するに絵高麗は茶人が分類したもので、元来は朝鮮から渡来したための称呼で、以後外観が似ていればその産地は問題とせず質の異同も深く鑑別しないで、一般に絵高麗と呼んだのであるでしょう。
(『大正名器鑑』『高麗古陶甕』中尾万三)

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