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鶴田 純久の章 お話

重要文化財
高さ:8.5cm
口径:10.7cm
高台外径:4.8cm
同高さ:0.8cm

 大黒は東陽坊(黒)・木守(赤)・早舟(赤)とともに、利休銘七種茶碗と称されていますが、七種の写しが一入の手によって、作られていることから推測しますと、一入時代、すなわち江岑、随流の時代には、これらの茶碗が、数多くの長次郎茶碗の中でも、利休好みの代表作として、典型的な作ぶりのものとされていたことを物語っています。
 なかでも、大黒がいかに著名であったかは、万治三年(1660)に上梓された『玩貨名物記』に、すでに「一 大くろ 黑 茶碗 利休所持 所持不知」と記載されていることによってもうなずかれます。ちなみに同書所載の長次郎焼は、他に「早舟」一碗のみです。さらに同記には「所持不知」とありますが、万治初年ごろには、後藤少斎か江岑のものであったと推測されます。
 作ゆきは、七種茶碗とされていることによってもわかるように、典型的な利休好みの茶碗であり、現存の茶碗では、「無一物」と類似した形姿で、質朴温和、いささかも作為を表にあらわさず、しかもいいしれぬ量感を備えています。まさに利休晩年の「心味の無味」の茶境を、象徴するものといえるのではないでしょうか。
 総体の大きさに比して、手取りのやや重いのは、底が分厚いためで、その点、断面図を参考に推測されたいです。
 高台は口径に比して、やや小ぶりで、あまり高くなく、どちらかといえば、つつましく削り出されています。高台内の兜巾は「無一物」と似て、くっきりとうず状に現わされています。手づくねとしては、製作技術の上からは必要としない兜巾だけに、これはあくまで高台の様を考慮しての作為であったと考えられます。しかもそれが、利休好みと推考されるものほど、くっきりと著しいのは、注目すべき特色です。
 総体に黒楽釉がかかっていますが、ことに外側の釉がかりは、長次郎茶碗として比較的なめらかで、独特の飴色をおびた黒釉がよく溶けています。ただし一部に高台ぎわから口辺にかけて、霞がかかったように、かなり強いかせが現われています。内側は長年の茶渋なども付着し、また使用中にもかせたのでしょうが、見た目には、艶は全く失われ、マット調のかつ色の釉膚をしています。
 見込みには、茶だまりのくぼみはなく、広く湾曲しているのみですが、これも初期の作品の特色といえるのではないでしょうか。
 高台畳つきの一部の釉が欠失し、そこにいわゆる聚楽土が、あらわに現われています。また外側に、窯中より出引したときのはさみあとが、くっきりとあざやかに残っています。外側、高台脇から側面にかけて山きずがあり、口辺には数ヵ所、漆繕いがみられます。
 表を黒かき合わせ塗りに、裏を黒真塗りにした内箱の蓋裏に、「大クロ 利休所持 少庵伝 宗旦 後藤少斎ヨリ宗左へ来ル(花押)」と千宗旦の子、江岑宗左の筆で朱漆書きされています。「大クロ」は千利休の銘で、その後、利休から少庵、宗旦と伝わり、一時京都の数寄者後藤少斎の有となりましたが、江岑の代にまた不審庵の叫齢となり、しばらく表千家に伝わったのち、三井浄貞を経て、大阪の鴻池家に入り、以来、鴻池善右衛門家の什物の中でも、特に珍重のものとして伝えられたものです。また桐の外箱蓋表の「利休大くろ茶碗」の墨書き付けは、随流斎の筆です。
(林屋晴三)

大黒 おおぐろ

重要文化財。
名物。
楽焼茶碗、黒、長次郎作、利休銘七種の一つ。
形が大振りな黒茶碗なので小黒に対して大玉一と銘じられたのであります。
大寂びで気品が高く長次郎の作品中で出色の茶碗とされています。
利休が所持し、少庵、宗旦と伝え、さらに後藤小斎、江岑宗左、三井浄貞と転伝してのち鴻池家に納まりました。
(『古今名物類聚』『楽焼名物茶碗集』『大正名器鑑』)

大黒 おおぐろ

黒楽茶碗。
長次郎作。
重文、名物。長次郎七種の内。
おだやかな丸みを帯び利休形として一層温和な形で、利休の好みをよく表わしている。
形が大振りなことから「小黒」に対して「大黒」と呼ばれる。
外面はやや光沢のある黒釉がかかり、見込は茶釉肌になっている。
口辺に近く鋏痕があり、高台は見事な巴高台で、畳付では一部釉が切れて赤土の素地がみえる。
七種の内で最も高名な茶碗である。
【付属物】内箱-桐黒掻合塗、蓋裏朱漆書付江岑宗左筆 外箱-桐白木、書付随流斎宗佐筆 被覆-唐物緞手
【伝来】千利休-少庵1宗日丁後藤少斎-江岑宗左-表千家-三井浄貞-鴻池家
【寸法】高さ8.5 口径10.7 高台径4.8 同高さ0.8

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