Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

肥前有田皿山の内。
佐賀藩で1637年(寛永一四)に十四窯を列挙した中にこの地名があり、1647年(正保四)十三ヵ所の窯業地が定まって内山・外山の区別が始まった時に内山の一つに数えられた。
かつて有田地方に製品の種類別があった時に大樽は鉢類が専門でありました。
享保(1716-36)頃にインド密貿易が露見して自殺した富村勘右衛門はこの地に住んでおり、近代の名工田代半次郎もこの地の出身であります。
(塩田力蔵)

前に戻る
Facebook
Twitter
Email