須坂焼 すざかやき

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鶴田 純久の章 お話

信濃国高井郡須坂(長野県須坂市)の藩主堀侯の御庭焼。
1845年(弘化二)に初代吉向行阿および二代吉向一郎がこの地に招かれて開窯。
陶土はほとんど京都に取り、実用品だけには大日向・綿内(長野市)のものを用いました。
広く陶器・磁器・楽焼をつくり、中でも糸巻の香合・土瓶付焼炉などの妙作が伝わっています。
銘に吉向・行阿。
一郎・出藍・十三軒紅麹・連珠・紅翠軒などがあるようで、連珠は藩主より賜ったものであります。
なお絵付はほとんど宍戸甚平がしました。
1853年(嘉永六)吉向か去り、自然に業は止んです。
なお吉向の門に角蔵・土屋修蔵・宮崎由右衛門・吉田久兵衛らがいましたが、御庭焼の廃止後は須坂の小田切辰之助かこれを引き受け、角蔵を抱えて五、六年間須坂焼を継続しました。

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