男山焼 おとこやまやき

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鶴田 純久の章 お話

紀伊国(和歌山県)の磁器。
窯は有田郡広村(広川町広)にありました。
初め崎山利兵衛が藩主の許可を得て字須村西方(高松焼の旧地)に窯を開きましたが、1827年(文政一〇)11月南広村(広川町)の八幡宮裏地に移窯しました。
元来この窯は藩の産業振興策に基づいて経営されたもので、保護が厚く明治の初年まで陶場を役所と呼んでいました。
1875年(明治八)利兵衛が没し、そのうえ製品の売れ行きが悪く1878年(同一二ついに廃業しました。
製品は青花磁が多く、象徴ともいえる亀甲ふm文などはみな染付物に限られています。
色絵物は藩の御用品だけです銘は主に染付書銘。
なお従業した陶工の中で光川亭仙馬が有名。
(『本朝陶器孜証』『陶器類集』『日本陶器目録』『紀伊陶磁史』)

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