小野賢一郎 おのけんいちろう

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鶴田 純久の章 お話

1888年(明治二十二 福岡県遠賀郡芦屋町に生まれました。
郷里の高等小学校卒業、門司市筆立学舎普通科四年修了、この間京都の朝倉忠吉について日本画を学んでいます。
1902年(同三五)5月福岡県小学校教員検定試験に合格したが就任せず、1906年(同三九)朝鮮仁川港に渡航し朝鮮新報社に入社、翌年朝鮮タイムズ社に転じ、1908年(同四一)4月帰国上京して牛込(新宿区)の成蹊社に入り「成蹊」の編集に従い、同年10月大阪毎日新聞社に入社、「東京日々」社会部員となり、1920年(大正九)欧米を、1922年(同一こ中国を漫遊し、1925年(同一四)「東京日々」社会部長兼事業部長に就任。
1932年(昭和七)12月退社、1934年(同九)5月日本放送協会文芸部長などを歴任しました。
1943年(同一八)2月1日没、五十五歳。
1925年(大正一四)『陶器を試みる人へ』を著わし陶芸趣味界の先鞭をつけ、1930年(昭和五)雑誌『茶わん』を出版主宰し陶芸趣味の普及に努めました。
また俳人としても一家をなし絵画も書道もよくしました。
今日の陶芸ブームを作り上げたのは彼の功績であることはまちがいないようです。
中でも加藤唐九郎との協力による『陶器大辞典』全六巻の刊行は、斯界に大きく貢献したものといえます。

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