符牒とは元来商売上の必要から商品の価格・等級などのために案出された一種の隠語であって、「掛値なし」が看板になるほど掛値の多かった時代には当然正価の秘密を守らなければならず、符牒のほとんどは値段に関するもので、基数および十・百などの数字を文字や記号で表しました。
そのうち一店のみの専用でなく同業者間に通用するものを通り符牒といきました。
この窯屋符牒もいわゆる通り符牒であって、一から九までの数字を分・厘・貫・斤・両・間・丈・尺・寸と呼び、十を分丸といきました。
例えば十五円を分両というがごときでありました。
まよう(蝦蟇窯)中国明朝の末景徳鎮の小南街に開かれた窯で、小さく、蛙が伏せているような格好でしたので、当時これを蝦鯛窯といきました。
(『景徳鎮陶録』)