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鶴田 純久の章 お話

室町時代に中国から輸大された万般の美術工芸品を呼んだ言葉で、中国製の上等品といった意味。
しかしやきものの方で唐物という場合は主として茶入を指し、中国南部で産した小壺類を茄子・文琳・肩衝・丸壺・大海・鶴首など二十数種に分類しています。
また唐物茶碗という時は、中国産の天目や絵高麗よりも、むしろ高麗茶碗の井戸・熊川・粉引・堅手・伊羅保などを指すのが普通であります。
この場合の唐物は本来の中国製という意味が広がって、外国製というような感覚で使われたものであります。
茶道における唐物としては、南北朝時代より舶来品趣味の珍器重宝として闘茶賭物の対象となりましたが、東山時代には書院飾りの装飾品として次第に深い鑑賞的態度をもって尊重され、幕府の職制にも「唐物奉行」があって、向朋衆能・芸・相阿弥三代のごときももっぱらこの仕事に従い、広く唐物の収集と鑑別などの任務に当たったことは『君台観左右帳記』や『御飾記』によって知られます。
茶道確立以後も唐物道具としての書画・花瓶・茶入・茶碗・香合その他は重要視され、唐物所持が常に茶湯者の第一条件とされ、天文年間二五三二-55)の『宗達茶湯日記』なども一つには「唐物拝見記」という副題をもっていましたし、天正年間(1573-92)の『山上宗二記』などにもこのことが知られます。

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